ふと思ったんだが、いろんな人の多様性を認め合うことはもちろん重要だが、 その前に!みたいなことがあると思う。 その前に、一人の人間がもつ多面性を認めようよと。 いろんなルービックキューブがある。ただその前にひとつひとつのルービックキューブは方向や角度によって見える側面の色はちがう。
なんやったら、底面はひっくり返さないと見えない。このひっくり返してみることってめちゃくちゃ難しいし現実そうはなかなかだと思うが、見える部分だけで、判定しすぎな風潮を感じる。なんだろう、ひとつひとつが自ら向きを変えれば、まるでパズルのように、となりのそれと対面する色が一致することもあるかもしれない。
磁石のように同じ色どうしが(引かれあう)惹かれあうとしたら(逆だが)、他人の多様性を重んじる社会、つまりお互いに歩み寄る社会って、まずは、一人ひとりの自己の多面性を認めて自ら向きを変えてみる心構えが重要なのかもしれない。
蛇足だが、お前できてねーじゃんって絶対突っ込まれるとおもうw だけどそれも見方を変えれば、できてないもの同志(あえての誤字)手を取り合える味方なんじゃないかなぁ
もちろん、人それぞれの好き嫌いはあって当然。 だけど、わたしが誰かのことを嫌いでも、 その”向こう側”から見えてる人はその人のことを好きかもしれない。 見えている側面が違うのだから。だから逆もしかり。 見えている部分だけで判断することは仕方ないかもしれないが、その向こう側にその人のことを好きな人の存在を捉えられているかが重要な気がします。
ということは、自分自身が「その人」の立場なら、”振り返ってみる”なんやったら”ひっくり返ってみる”といい方向に向かうかもしれない。底面は見えなかったのだから。
だから、子どものころからよく言われた 「まわりをよく見る」になんか集約されてくる気がしてきました。
さらに蛇足。 見方を変えることは我に返ることなのかもしれないね。 そして原点に還ろう。 さすれば味方が孵ろう。 上手く言おうとして田舎くなってきたから家に帰ろう。