不味いラーメン屋があったから美味しいラーメン屋が選ばれたし高っい電器屋があったから安い電器屋が選ばれてきたと思うの。 でももうさ品質も価格も”高次元でのドングリ状態”になってくると、なんやかやで究極はさ、 「誰から買うか」にもう近づいてるというか 分野によってはもうなってるよね。 モノを売るのとサービスを売るのとの境界線がなくなってきてグラデーションになってきているといいますか。
欲しいものを手に入れるためのお金というよりも、その自分のお金で、誰を喜ばせたいか応援したいかという価値観になると思う。「誰から買うか」どころか、 「誰に使いたいか」もうそういうことなんじゃないかな。”推し”っていう概念もそこに通じそう。 魅力的な同級生を、「付き合いたい」とかじゃなく「推せる」って表現で話題になりきゃっきゃしてる現代の思春期の若者を見てるとそんなことを考えたの。
たとえばさ、ニコニコ漫画なんかでは無料で漫画が読めるんだけど、 フツーはというか一昔前はってかなちょうど続きが気になるところでここから先は本を買ってねって手法でいかにつづきが気になる漫画が書けるかってところだったと思う。 でも今ってそれが変わってきてる気がする。むしろもう ほとんどってか単行本一冊まるまるぜんぶじゃんくらい見せてる作家さん。本を買ったところでもうぜんぶ読んだことあるはなしなんだからそんなの一昔前なら買うはずない。
でもそんなに無料で読ませてくれた作家さんだからこそ単行本を買って応援しようって感情が湧いてくるというのかな 例を出せば、 『事情を知らない転校生がグイグイ来る』の川村拓さん、『らいかデイズ』のむんこさん、 これらってニコニコ漫画でもうほぼほぼ読めちゃうのよ。 でもっていうかだからこそ、購入意欲をそそられるの。 もちろんそもそも魅力的なストーリーぐっとくるシーン、セリフありきだけど そうやって惹き込まれる世界観を持ってらっしゃることは当然大前提なんだが、なんかこうもうぜんぶ読んだことある話なのにそれでもいやぜんぶ読ませてくれたからこそ、そこに自分のお金を使いたくなる心理。
売り方が変わってきてると思う。 それはもちろん同時に買い方もということだわ。 ようするに知識なんてのもんさ、本屋さんいきゃあ買えるんよ、図書館に置いてたら無料だし、なんやったら外出すらせずにYouTubeにも勉強になる動画はあるし。 それでもねそれでも。 それでもうちに通う生徒がたくさんいるの。 つまりねそういうことなんだよ。
知識それ自体は同じでも、誰から授かりたいかを選んでいただける。 そんなふうでわたしはありたい。