『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。
されども今廣く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、
貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、
其有樣雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや。
人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。
ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、
無学なる者は貧人となり下人となるなり』
ご存知のかたが多いと思いますが、
いまだに騙されている人も多いようなので、はっきり言っておきたい。
福沢諭吉は人の平等を説いたかったのではない!!
まるでテレビの編集みたいですね… ひどい切り取りかたをしています。
【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。】
ここまでがワンセンテンスですよ。
(と云へり)は意図的に操作され消去されたのでしょうね。荒唐無稽。
「云へり」と書いているのだから、筆者本人のことばではございません。
「と言われている」という意味です。
さらに言えば「天は」に注目しましょう。
ここ、「人は」とか「世間は」とかに勝手に読み替えている人のなんと多いことか。
つづきの文章をへいたんな言葉に置き換えると…
しかし今世の中を見てみると、賢い人と愚かな人がいる。
また、貧しい人や裕福な人、身分の高い人と低い人がいて、
その有様は雲泥の差だ。どうしてだろうか。
ひとは生まれた時は平等である。
学問をして、物事を知る人は偉く、お金持ちになる。
無学の者は、卑しくて、貧乏になる。
となります。
そもそも、この著作のタイトル「学問のススメ」ですよ?
平等なんかこれっぽちも説いていません。
勝手に勘違いした、もしくは、勘違いさせられた。
勘違いするように仕組まれたとでも言うべきですね。
だって、「云へり」は明らかに不自然に抹消されていますから。
生まれたときは皆平等かもしれないが、その後は学問によって人生がわかれる。
これこそ福沢諭吉の言いたかったことである。
ここまででもう結論ですが、蛇足として
福沢諭吉の銘語録をならべておきましょう。
自分の考えだけで、他人を評価してはならない。
自由と我がままとの境界は、他人に迷惑を掛けるのと掛けないのとの間にあります。
人生において偶然に得たものは、また偶然に失うこともある。
学問の道に入ったならば大いに学問すべきです。
農業を志したなら豪農になりなさい。商人になるならば大商人になりなさい。
学問をする者は、小さな安楽に満足してはなりません。
…ドキっとする、ハっとする人、多いのではないでしょうか…
『学問のすすめ』には
現代のわたしたちにも共通する、大切な教えが説かれています。
一度手にとってみてもいいかもしれませんね。