「習ってない」とかいうふしぎな呪文

どうも。春期講習最終日のユニバ進学教室石切校でございます。
保護者のみなさま、生徒のみなさま、春休み、お疲れ様でした!
明日から始まる新生活。今年もまた充実した一年になりますように。

さて、巷では、子どもたちが、こんな呪文を唱えるようですね。
「習ってない」
=「だから知らなくてもいい」とでもいいたげですね。

うちの教室の塾生は、こんな呪文唱えません。私がマホトーンを使えるから。

少し話がそれるようですが…
わたし、あれ嫌いなんです。
あれというのは、電車に乗るときの駅でのアナウンス
「ドアが閉まります」
=「誰かが挟まって事故っても責任はドアにあります」とでもいいたげですね。
(何年か前から地下鉄では「ドアを閉めます」と言うようになりました。ナイスです♪)

さらに蛇足。
「えんぴつどっかいった」
=「勉強が始められないのは道具がないから」とでもいいたげですね。
これ、うちの塾生は「~をどこかにやってしまった」と言います。
私がそう教育しているから。

要するに、私が言いたいのは…

人のせいにするな!

です。

習ったか習ってないかなんかぶっちゃけスーパーどうでもいいのです。
「だれかが」言ったかどうかではなくっ
「自分が」教科書を読んだか読んでないか、です。

だから、うちの塾生は、問題集やってて、
「お。なにこれ、さっぱり知らないぞ」となった場合、こう言います。

「先生、教科書(辞書)貸して!」

入塾したての生徒たちは、
{「自分が」学ぶ/調べる/覚える}
↑これをそもそも教わってない指導されてないケースがほとんどです。
これを伝えずに何が教師か。教師の師は師匠の師ですよ? 正直、考えられへん!!(きむにい風に)

で、教科書をその巻末にあるさくいんのページを開いて渡してみると…おおむねこう言います。
「え?こんな便利なもんあったんや!!」
そうなんです。そもそも「さくいん」の存在すら知らないです。
だって、{「自分が」学ぶ/調べる/覚える}これをそもそも教わってない指導されてないから。

そして、
・いままで自分は「教科書を開けて」、とだれかに指示されなければ開けてもいないという衝撃の事実。
・「さくいん」というスーパー便利なものがある。
・ほとんどのことは教科書に載っている。
・つまりわざわざまどろっこしい講義など聞かなくてよい。
・つまり本来学習とは一人でできるもの。
・とはいえ教科書読むだけでは解決しない難問がたまにある。
・とはいえ覚え方のコツみたいなのが知りたい。
・とはいえ家で学習する気にはならないから集中できる環境がほしい。
と彼ら彼女らの頭の中に革命的な気づきの連鎖が起きます。そして目覚めます。

かの阿久津まや先生も高らかに謳ってましたね。「いいかげん目覚めなさい」

{だから}塾通いするんですよ。知識なんか本屋さんで3000円あれば買えますから。
なんやったら図書館に置いてれば無料ですから。

と、いうことで。
うちの塾生は「習ってない」などという不思議な呪文を唱えることは無くなります。
決して人のせいにしない。自らの判断や言動の結果として起こる事実を責任をもっと受け止める。
そんな「生きる力」を育てています。
(よし、会社の方針に結論をもっていけた)

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